結婚して20数年が経つが、お盆は必ず長崎の小さな島にお墓参りに行く。行かなかったのはコロナ禍であった2年前と3年前、そして長男を出産した後の3回くらい。
私の両親もそうだが、義理の両親と親戚の方々は本当にご先祖様を大切にする。
私もたまに実家に帰省した時にお墓参りに行く。いつ来ても掃除が行き届き、花が供えられている。
生花が供えられていると言うことは両親がしょっちゅう来て綺麗にしてくれているという事なんだな。
昨今「墓じまい」という言葉もよく聞くようになった。核家族化が進み子供が遠方へ行ってしまえばお墓を守っていくことも難しい。
先日親戚の法要があった際 久しぶりに義理の妹に会った。
流れでお墓の話になった時、
「自分の時は樹木葬にしようかな・・」と私。
それは自分が毎夏に長崎の島まで行くことがしんどいというのが正直なところで
自分達がやって来たことを子供達がやらなければいけないという事がきっと大変な気がしてそう言った。
するとこんな返事が返ってきた。
「ご先祖様を大切にするとご先祖様に守られている気がする。ちゃんとお墓参りに行っている人達と全く行かない人達。行く人達は家族が守られている、そう思わない?」
私はその言葉にぞわっとした。確かにそうだ。義両親は戦前戦後の生まれの方だからとにかく兄弟姉妹が多い。お墓参りに毎年来ている方もいれば、一度も会ったことがない人もいる。
お参りをしない人達はその後のよい噂をあまり聞かない。一方お墓参りをいつもしている人達は家族の絆も強く仲が良い。
そうだな。私はいつも自分の周りしか見えていないように思う。
「お墓参り」=「大変な事」
といつも後ろ向きに考えていた。
「お墓参り」はそんな私のちっぽけな心の中ではとうてい感じることの出来ない
もっと深くて広い「繋がり」や「慈しみ」が存在しているんだな。
義妹と話しているといつもその視野と心の広さに脱帽してしまう。