お弁当を作ってもらったことはありますか?
私は中学と高校の6年間母に作ってもらった。
母の愛について
週末に親戚の法要が荘厳なお寺にて執り行われた。住職の唱えるお経に耳を傾け、身も心も引き締まっていくように感じた。
読経の後にある住職の説法。
毎回心が洗われるようなお話を聞くことができるのでありがたい。
今回は「母の愛」についてであった。
無償の愛とはよく聞くが、母から赤ちゃんへ与える「母乳」がその最たる物ではないだろうか。母乳は血液から作られる。自分の血液を惜しげも無く子供に与えている。
そこまで考えたこともなくその時は無我夢中でおっぱいを与えていたが、今考えるとそうなんだなと思う。
そして、母の作るお弁当にもそう感じるのではないか?
特に「にぎりめし」はどういうわけか最高においしい。
「にぎりめし」は言い換えれば「お結び」
作る人といただく人の心を繋げている、そんな話だった。
心で繋がる母が作ってくれたお弁当
お弁当には私にも思い当たるところが多くある。
母から作ってもらったお弁当は今でも鮮明に覚えているし、どれもとっても美味しかった。
朝早く起きて揚げ物をする。私には出来ないことだ。
冷凍食品をあまり使わず、手作りを心がけていた。
学校生活で一番の楽しみと言っても過言ではないほど、友達と机を並べておしゃべりしながらいただくお弁当はまた格別。
その作り手ともらい手を繋げるお弁当は何十年経ってもやはり心で繋がっている。
こちらで何度も書かせてもらったが、私の母は現在認知症でここ数年は暴言が耐えなかった。認知症になる前から私や父にひどいことを割と平気で言う性格ではあったが、ここ数年はさらにエスカレート。
その暴言を受けて電話口で過呼吸になるくらいに泣いてしまうここともしばしばあった。
そこで自分の気持ちを気丈に保ってくれるのが そう「お弁当」なのだ。
母に作ってもらったお弁当がいつも私を慰めてくれる。
美味しかったお弁当、丁寧に作ってくれたお弁当、友達にも好評だった鶏の唐揚げ、
など、いろんなお弁当が走馬灯のように私の記憶に溢れてくる。
そのお弁当のおかげで私はいつも母を好きでいられる。
私は今まさにその時の母である。
昨年の4月より娘が中学生になりお弁当を毎日作り始めてもうすぐで一年。
母のように朝から揚げ物は出来ないが、毎日いろいろアイディアを練り試行錯誤しながら作っている。
先生が時たまに生徒に親へ宛てた手紙を書かせる事がある。
その手紙には必ず「いつもお弁当をありがとう」と書いてある。
やはり「お弁当」は偉大だな。子供の心をわしづかみにする、そして何年経っても忘れさせない。どんな言葉よりも愛情よりも母と子供を繋げる「お弁当」には不思議な力があるように思えてならない。