先月、義理の母の傘寿の祝いを近所の料亭で行なった。
旬の食材で丁寧に作られた会席料理がどれも美味しくて箸が進む。
2月にも法要がありこうして皆で集まったばかり。
義理の家族、親戚は月に一度くらいは集まっている。
義理の両親は長女夫婦と同居。80を超えても足腰もそこまで悪くなく、頭も冴えていて何より幸せそうだ。
次女夫婦と孫もしょっちゅう顔を出していて、「寂しい」どころかいつも孫の世話で忙しくされている。
義理の両親に触れる度に自分の両親の事を思う。
「私の母も傘寿の祝いをしてあげたかった」
孫の誕生会、運動会、七五三、クリスマス会、これまで集まってきたイベント事は挙げればきりが無い。どれも義理の両親とその家族と過ごしている。
遠くに住んでいるから仕方ないとは言え、私は自分の両親とこうしたイベントを一緒に過ごせなかったことを心から申し訳ないと思っている。
私の母は肝臓を患って約50年。結婚してからは舅との折り合いが悪い中で同居を余儀なくされ相当なストレスだったと思う。
大っ嫌いな人と何十年も一緒に暮らすということがどれだけ大変なことか想像しただけでもぞっとしてしまう。
私も結婚して遠くへ行ってしまい、兄嫁も実家に寄りつかない。
苦労ばかりさせてしまった。
何とか孫の顔を見せてあげたく、夏休みなどの長期の休みの時はなるべく帰省した。
その甲斐あってか、70代の半ばくらいまでは穏やかに過ごしていたと思う。
しかし、70代後半から認知症がはじまり、毎日のように言葉による他人はおろか家族への攻撃が始まった。
認知症の症状もどんどん進み、食事を拒否し、ついに胃瘻をすることとなり入院。
会いたくても病院側のルールで(コロナ禍のため)会えず、もう私のことも忘れてしまったかも知れないと思うと怖い。
80代近くになってから幸せな老後とそうでない老後とこんなにも差が開いてしまうんだな。と悔しいが思わざるを得ない。
私は幸せな老後を過ごしたい。それにはまず他力本願は捨てること。頼りになる大人になること。一人でも楽しめる人生の軸を持こと。いつまでも強い足腰を持ち続けること。なかなか難しいが80歳までにはまだ30年ある。この時間をどう過ごすかが幸せな老後を送れるかどうかの鍵になる。